と呼ばれる書類が必要になる。バウチャーとはロシアでの移動や宿泊地が記されているもので、かなり細かい。ホテルにしても知人宅にしても、宿泊先を決めずに行くことは出来ないということだ。ぶらり旅がお好きな方はご注意を。また行きの船内では
を記入しなければならない。これは代筆不可で修正液・二重線などの書き直し不可。記述はロシア語と英語のみで、一応在日ロシア連邦大使館領事部が出している「記入例」はあるものの、昭和一桁の母には困難を極めた(ここに掲載している出入国カードは母が書き損じたもの。姓と名を分けて書かなければならないところ、続けてしまった〜「出入国カード:表」上部参照)。
尚、ホテルチェックインの際、フロントにパスポートを預ける形になる。これはロシア出入国管理法に基づく外国人宿泊登録を警察に届け出るためだそうで、翌朝には戻ってきたが、慣れないと不安なものだ。
携行品
電圧は220ボルト、プラグはC型。ビデオカメラや携帯電話などの電化製品は正確な申告が必要となる。
税関申告書(左:表、右:裏)
税関申告書には持ち出す外貨の金額、電化製品などの持ち出し品について記入する。入国の際に2枚、出国の際に1枚必要。用紙はツアー申し込み時に旅行会社からも送られてくるし、フェリー内にも備え付けてある。
気 候
北海道北部とほぼ同じ。私達が行った時(7月30日〜8月2日)は気温も20度台後半(体感)まで上がり日中は暑かったが、朝晩は半袖では寒い。またホテルの空調も、少なくとも手元で操作できるようなものは見当たらなかった(冬場の暖房はついていたが)ので、盛夏でも長袖は必需品。また道路の舗装が著しく悪いので、雨が降ると市街地でも足元が汚れる。歩きやすく、汚れても良いスニーカーなどが良いようだ。
港湾税
私達はフェリーで行ったので、帰りには
港湾税が必要になる。渡航直前に旅行会社から送られてきた冊子には150Рと印刷されており、手書きで400Рに訂正されていた。また到着後、通訳ガイドのマリアさんからは450Рと聞いた。一体いくらが本当なのか?!
答えは400Р。しかし窓口の貼り紙も未だ150のままで、料金が改定されたのはこの春のことらしい。今後渡航される方は、
信頼できる機関からの最新の情報を仕入れるように。
一般の日本人観光客が泊まれるようなホテルは、ユジノサハリンスクに集中している。コルサコフにも
「ホテル・アルファ」があるが、石油会社の社宅状態だかで、私達も希望は出したが、泊まることは出来なかった。
詳細な各ホテルについては既存のガイドに委ねるとして、ここでは私達が宿泊した「ホテル・ナターリア」についてご紹介しよう。
ホテル・ナターリア
Hotel Natalya
Anton-Buyukl street 38 Yuzhno-sakhalinsk
【立地・環境】
住所になっている「アントナ・ブュクルリ通り」は裏通りのようなところではあるのだが、徒歩数分でユジノサハリンスクのメイン通り「コムニスチーチェスキー大通り」や「チェーホフ通り」に出られる。ショッピングの中心である「ドム・トムゴーヴリ」へは3分、「スラビヤンスキーバザール」にも7、8分で行けるので、ユジノサハリンスク駅(徒歩15分程度)を基点とした移動でなければとても便利。
【建物・設備】
入り口は異なるが、州会議ビルと棟続き?のようだ。また何故か1階にはカレー店「Taj Mahal」が。
とかくサハリンのホテル事情は悪いと言われている。お湯が出ない、英語が通じない、トイレットペーパーはザラ紙etc.と渡航前に色々聞いていたので、かなり覚悟をして行った。して、その実態はというと‥‥(50音順)
英語 |
このホテルは英語OK。でも、私がNG(おバカなエピソードは後述)。 |
エレベーター |
私達の部屋は7階、702号室。当然往き来にはエレベーターを利用するのだが、これがちと恐い。●呼び出しのボタンを押してのんびり待っていると、断りも無く(?)途中で止まること数回。一度押して安心してしまわないように。●乗り込むと開閉ボタンが無い。回数ボタンを押すと突然閉まるので要注意。●エレベーター内では扉の隙間から向うの景色が見えた。etc.
たまたま私達の泊まった階で改装か何かが行われており、エレベーターを出てすぐのところに家具や調度がどっさりと置かれていた。また工事は朝の9時頃から始まり、けたたましい。出掛けずに部屋で過ごす人はたまらないだろう。 |
お湯 |
初日、母に続いてシャワーを使った私。途中でお湯が出なくなり、水で泡だけ落として出てきた。2日目以降は大丈夫。 |
セキュリティー |
ガイドブックでは「スーツケースは鍵付きを」となっていたが、貴重品以外を部屋に置いておいて不安に感じることは無かった。 |
高さ |
とにかくあらゆるものが、高い。いえ、物価ではなく、位置が。左の写真は入口正面にある大きな鏡。見ていただきたいのは私の頭上にあるスイッチ。私は150センチなので、160センチ超の高さにあることがわかる。そして右の写真はバスルーム。同様に鏡に向かってカメラを向けているのだが、私の姿はどこにも見当たらない。否、鏡の下の方にちょっとだけ写っている黒い物体は‥‥ |
朝食 |
朝食券を貰って1階のカフェでとるスタイル。パン、チーズ、卵料理、サラミ、コーヒー、フレッシュジュース等、ごく普通の朝食だが、目玉焼きにはハーブが散らしてあったりジュースは黄桃100%だったりと、質の良さを感じる、とても美味しいものだった。量・質ともに女性向?
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電話 |
部屋から国際電話がかけられるなど、合格。 |
トイレ |
はじめ、どうやって流すのか少々戸惑った(知りたい方は写真をポイントの後、クリック!)。ペーパーは一応ちゃんとした白い上質紙。が、ちょっと厚め(2日で1ロール使い切る。厚いからメートル数が少ない)でキッチンペーパーの様だった。
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備品 |
バスルームには歯ブラシ・歯磨き粉・石鹸・タオル、ダイニングにはボックスティッシュ等必要最低限のものは揃っていた(韓国製)。またハード面?ではダイニングにオーブン付き電熱コンロ・家庭用サイズの冷蔵庫(中は空)・ティファールの湯沸し器、寝室にはベッドがダブルとシングル一つずつ・ゆったり座れるソファー・衛星放送が見られるテレビなど。ちなみに私たちの部屋にはダイニングキッチンがついていたためか栓抜きが備えられていたが、部屋でビールを飲みたい方には必需品と思われる。 |
水 |
生水は絶対に飲まないこと、ホテルの水も浄水が悪いので沸かしてから飲むこと、と聞いていたので恐る恐る、ホテルの水を備え付けの湯沸し器で沸かし、持参のディーバッグでお茶を淹れた。お腹なかが痛くなることも無く、味も問題無し。 |
その他 |
写真の通り。あんまり引っ張るとカーテンが破けそうだったので、持参の洗濯バサミでとめた。また初日、ベッドの上ではハエがお休みに‥‥ |
前述のようにロシアの通貨は
ルーブル(Р)。一部ホテルでは
米ドルも使えるところがあるとされているが、基本はルーブル現金のみ。トラベラーズチェックは全く役に立たず、キャッシュカードも使えるところはごく限られている。そんなルーブルは日本国内で入手することは出来ない。現地に行ってから両替をするのだが、これがまた一苦労なのだ。
私達の船がコルサコフに到着したのは金曜日の17時30分。その後入国の手続き等を経てユジノサハリンスクについたのは19時半を過ぎていた。旅行会社からの冊子には「当面の両替は主要ホテルなどで行います」となっていたが、実際のところホテルで両替してくれるところは私の聞いた限り、無い。ナターリアでも両替は不可で、その日は大人しく部屋で持参したパンなどを食べた。いくら金曜の夜でもフェリーの便で200人からの日本人(フェリー定員223人)が渡航するのだから、港で両替出来るのは当然、と考えるのはサービスの行き届いた日本ならではの常識らしい。ちなみに空港にも
両替所は無いそうだ。
翌朝、まずは銀行巡り。日本の感覚だと土日に両替など出来そうもないのだが、市中心部にある銀行やサヒンセンターという行政機関の建物など回り、結局4箇所目の銀行でルーブルを入手することが出来た。後で聞いたところによると、デパート等でも両替が出来るところがあるらしいが、初めて行く旅行者が利用するのは難しそうだ。
旅行会社からは米ドル現金を用意するように言われ、米ドルからルーブルへの両替となった。2004年7月31日現在、$100で2800Р(日本円では1P=約4円)。状況にもよるが、ちょっと豪華な夕食で500Р、瓶のビールが20〜30Р。露店のピロシキが1個10〜22Р程度。母と2人で$300両替したが、3泊4日で使い切るのは大変だった(初日はルーブルが入手だったし、最終日は早朝に港へ向かう)。尚、銀行にはユーロのポスターが貼ってあったので、米ドルのほか
ユーロでも良いかもしれない。
サハリンでは日本車が多い、とは聞いていたが噂以上だった。走る車の
9割は日本車、と言っても過言ではない。それが証拠に、この写真!
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ホテル近くの通り沿いに |
ガガーリン公園にて |
これもガガーリン公園内 |
市西部の広場駐車場 |
これらは車体に日本語が残っているので特に目に付いたが、それ以外の一般の乗用車も日本車が大変多い。まだ走れるが日本では値がつかないような中古車を安く仕入れているのだろう、私達がコルサコフとユジノサハリンスクを回った車もトヨタのカムリだったが、走行距離は13万キロ程度、フロントには大きな
ヒビが入っていた。
ちなみにこの中古車達、当然のことながら右ハンドルのまま。サハリンは右側通行。運転手のワレリさんに「恐くはないか」と尋ねたら「もう慣れた」そうだ。
観光地ではないサハリンには、これといった土産物が無い。ガイドブックではウォッカやキャビアの缶詰、琥珀製品などが名産とされているが、私たちが行った普通のコンビニには無かった(いわゆる土産物店が無い。ガガーリン公園近くにあるらしいが、ホテルからは遠く、また観光中も案内はされなかった)。仕方ないので、ユジノサハリンスクの駅売店で売っていた、チョコレートや量り売りのお菓子等を買ったのだが、母は帰りのフェリーの中で
マトリョーシカを買った。この手の置物は貰っても困ることが多いからマトリョーシカだけは買うまいと、私は行く前から思っていたのだが、これが結構、良い♪ 今風に言うと癒されるというか‥‥
そんな訳で、帰りのフェリーでは同じ送迎車で苦難を共にした(?)方々と、マトリョーシカをずらりと並べて盛り上がった。歴代大統領のものなどは有名だが、人気アニメのキャラクターなど、様々なバリエーションがあるらしい。写真はフェリー内で母が購入したもの。免税で600円也。
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