★サハリンカラーです★  最終更新 2004.12.25.
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州立美術館前のチェーホフ像



◆旅の日程

日程表(出発前の予定/サハリン関連の日程は色付き)
日にち(曜日)
<宿泊地>
移 動 交通手段 内 容
7月29日(木)
< 車中泊 >
羽田−新千歳 飛行機 17:00羽田発
札幌〜 夜間高速バス 23:00センチュリーロイヤルホテル発
7月30日(金)
<ユジノサハリンスク>
〜稚内着 夜間高速バス 5:30フェリーターミナル着
稚内−コルサコフ フェリー 10:00稚内発17:30コルサコフ着 ※時差2時間
コルサコフ−ユジノサハリンスク 送迎車 19:30ホテル着予定
7月31日(土)
<ユジノサハリンスク>
ユジノサハリンスク−コルサコフ
コルサコフ−ユジノサハリンスク
専用車 コルサコフ観光
8月 1日(日)
<ユジノサハリンスク>
ユジノサハリンスク市内 専用車 ユジノサハリンスク観光
8月 2日(月)
< 札 幌 >
ユジノサハリンスク−コルサコフ 送迎車 7:30ホテル発
コルサコフ−稚内 フェリー 10:00コルサコフ発13:30稚内着
※時差−2時間
稚内−札幌 高速バス 22:00センチュリーロイヤルホテル着
8月 3日(火)
< 札 幌 >
札幌実家周辺〜1年振りの実家でのんびり
8月 4日(水)
< 東 京 >
新千歳−羽田 飛行機 11:00新千歳発


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◆サハリン(sakhalin)とは


地理と歴史

北海道・稚内のわずか43キロの北にあるロシア連邦共和国サハリン州。南北に細長い島で面積は北海道の約1.1倍。終戦までは樺太(からふと)と呼ばれ、北緯50度以南は日本領だった。内地の人は勘違いされている方が非常に多いが、いわゆる北方領土(国後・択捉・歯舞・色丹)とは異なる。が、ロシアの州分けではサハリン本島とクリル諸島(千島列島)がサハリン州とされている。

ごく簡単に領土の歴史を記しておく。

 1855年 日露和親条約で日露共同領有地とする
 1875年 千島樺太交換条約により、樺太全土がロシア領となる
 1905年 日露戦争後のポーツマス条約で北緯50度以南が日本領になる
 1945年 第2次世界大戦終結、日本撤退
 1951年 サンフランシスコ平和条約で日本は樺太を放棄



主な街

都市名 日本名 コメント
ユジノサハリンスク
Yuzhno-sakhalinsk
豊 原
とよはら
サハリン州州都。人口約17万人。
碁盤の目の整然とした町並みに州行政府など主要機関が立ち並ぶ。旧北海道拓殖銀行豊原支店や旧樺太庁立博物館など、日本時代の建物が今も残る。
ホルムスク
Kholmsk
真 岡
ま お か
サハリン州第2の都市。人口約5万2000人。
今回の旅行では立ち寄らず。
コルサコフ
Korsakov
大 泊
おおどまり
母の生まれ故郷にしてサハリン州第3の都市。人口約4万6000人。サハリン最大の不凍港で、ホルムスクと並ぶ交通の要衝。稚泊連絡船は終戦で途絶え、以来、ペレストロイカで開放されるまで半世紀もの間、行きたくても行けない、近くて遠い外国だった。1995年5月、50年振りに定期航路が復活、99年からは日本船籍(東日本フェリー)での就航が行われるようになった。丘を取り囲むような市内には日本時代の北海道拓殖銀行大泊支店や、日本人慰霊碑がある。


その他の街(現在の名/日本名)
アニワ留多加(るたか)
アルセンチェフカ真 縫(まぬい)
イリインスキー久春内(くしゅんない)
ウグレゴルスク恵須取(えすとる)
オジョルスキー長 浜(ながはま)
オホーツコエ富 内(とんない)
ガステロ内 路(ないろ)
クラスノゴルスク珍 内(ちんない)
ゴルノザボーツク内 幌(ないほろ)
シネゴルスク川 上(かわかみ)
シャフチョルスク塔 路(とうろ)
スタロドゥプスコエ栄 浜(さかえはま)
スミルヌイフ気 屯(けとん)
ソコル大 谷(おおたに)
タラナイ多蘭内(たらんない)
チェーホフ野 田(のだ)
トマリ泊 居(とまりおる)
ドリンスク落 合(おちあい)
ニコライチュク池ノ端(いけのはた)
ネベリスク本 斗(ほんと)
ノーヴォエ新 問(にいとい)
ノビコボ弥 満(やまん)
ノボアレクサンドロフスク小 沼(こぬま)
ノボジェレーベンスカヤ奥鈴谷(おくすすや)
ブイコフ内 淵(ないぶち)
ブズモーリエ白 浦(しらうら)
ポベジノ古 屯(ことん)
ポリャーコボ手 井(てい)
ポロナイスク敷 香(しすか)
マカロフ知 取(しりとる(り))
レオニートボ上敷香(かみしすか)
レソゴルスク名 好(なよし)

 ●サハリンの地図  ※稚内市のサイト内
 ●樺太全図  ※(社)全国樺太協会サイト内


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◆出発前の衝撃

噂には聞いていたものの

旅行会社から送られてきた書類一式を見ると、日本では考えられない「注意事項」が書いてある。

『コルサコフ港やユジノサハリンスク空港には両替所がなく、また市内に到着する頃には、すでに市内の銀行も閉店しております。当面の両替は主要ホテルなどで行う形となります。但し正規の両替所ではありませんので、ここで両替したルーブルは、再びドルや円に際両替することができませんので、ご注意下さい』

実際にはホテルでの両替も不可能!私達が到着したのは金曜日の夕方。ルーブルの入手は‥‥とっても、とっても大変でした。

『お金は、米ドル現金をご用意ください。トラベラーズチェックはロシアでは全く役に立ちません。またクレジットカードは普及率も低くさほど便利ではありません』

原則、外貨での支払いは不可らしいが、最終日にルーブルがない状態でホテルから国際電話をかけたときは米ドルでの支払いが出来た。両替した銀行では、米ドルだけでなくユーロもいけそうだった。

『ホテルは自家給湯が殆どのため、お湯の量に限界があります。なるべく湯船につかるスタイルの日本式の入浴はお控え頂くことをおすすめします』

初日、シャワーを使っていると、途中からお湯が出なくなった。翌日以降は何ともなかったが、駅前のホテルに泊まった人は、給湯に時間制限があったという。

『ロシアのトイレットペーパーは硬いザラ紙が多い為、水溶性トイレットペーパーの持参をおすすめします(一部のホテルには良質のものを使っているところもあります)』

私達が宿泊したホテルは「一部のホテル」だったのか「良質のもの」だった。ちょっと厚めだったけど(キッチンペーパー状)。

『公衆トイレが少なく、またかなり汚れていることが多い為、ホテルやレストランを出発する前に済ませて下さい。また、長時間バスで移動する場合は極力飲み物を控えることをおすすめします』

‥‥と聞いていたので、トイレに行けるチャンスは逃さず行っておいたのが良かったのか、それほど不便は感じなかった。デパートや駅のトイレは有料(利用はしなかった)。

『日本の出版社発行の地図は北方領土が日本領土で記載されているため持ち込み禁止

まぁ、そういうことなんだろう。


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